1)山根洋右教授 (1978-2004)
鳥取大学医学部医動物学講座助教授から、1978年(昭和53)に開学間もない島根医科大学環境保健医学講座第二の教授に就任した。医動物学(寄生虫学)、産業保健学、健康管理学、食品保健栄養学の教育・研究を担当した。
医動物学では、北欧産広節裂頭条虫と同種と考えられていた日本産裂頭条虫が新種の日本海裂頭条虫であることを発見し、国際的に高い評価を受け、グローバル化する感染症の予防に多大な貢献をしたことから寄生虫学分野で最も歴史のある桂田賞を受賞した。
市町村や医師会などと協働して農山村の脳卒中半減対策、高齢化問題への対策などを進め、農山村の地域医療保健の充実に貢献された。1999年に第48回日本農村医学会学術総会学会長、日本農村医学会副理事長・理事長として指導的な役割を果し、2003年に日本農村医学会より農村医学会賞を受賞した。
科学的な健康福祉政策学を提唱され、市民参加型健康福祉活動や参加型行動研究の手法開発を進め、日本健康福祉政策学会設立の世話人で、1999年より日本健康福祉政策学会副理事長を務めた。また、地域社会と大学の連携協力にも積極的に取り組み、出雲市や佐田町などで健康福祉のまちづくり、介護保険制度の創設、認知症のコミュニティケアなどの充実に尽力され、2004年に出雲市市民文化賞(社会部門)を受賞した。
市民参加型研究および社会貢献活動を基盤として地域に根差した医学教育の手法を開発し、日本医学看護学教育学会副会長や日本医学教育学会評議員として医学教育に関する研究を実践した。1998年には、家庭健康管理実習が日本放送協会により「山陰発家庭訪問実習二十年の試み」「医を見つめた一年間」として放映され大きな反響をよんだ。
研究教育および社会貢献を総合化した講座の運営方針をとられ、多くの大学院生や助手を医学、栄養学、看護学、保健学分野の研究者、衛生行政や地域医療の担い手を育てた。2004-2006年に島根大学理事・副学長(社会貢献・国際交流担当)として、合併後の島根大学を運営し、2007年から高知県立高知女子大学学長に就任した。
2)塩飽邦憲教授
(2005年-)
2005年2月より、島根大学医学部環境保健医学講座(環境予防医学)教授に就任した。研究教育および社会貢献を総合化した講座の運営方針を踏襲するとともに、島根大学の目標である「地域社会に貢献する『知』と『文化』のセンター」をめざしている。
開発途上国の国際医療協力に興味があり、鳥取大学医学部卒業後、西田 弘教授(現名誉教授)と平井和光助教授(後に鳥取大学医学部教授、鳥取大学理事)のおられた愛媛大学医学部寄生虫学講座助手となった。愛媛大学在職中は、平井和光助教授の下でマンソン裂頭条虫擬充尾虫の分泌する成長因子について動物実験を担当した。愛媛大学医学部出身の大学院生である鳥居本美君(現愛媛大学医学部寄生病原体学分野教授)と坪井敬文君(現愛媛大学無細胞生命科学工学研究センター教授)と一緒に楽しく研究を行った。鳥居本美君が大学院の卒業間近に、愛知医科大学寄生虫学講座金子清俊教授(故人)からお誘いを受け講師として1983年より赴任した。
愛知医科大学時代には、失明を起こす回旋糸状虫症の疫学調査にナイジェリアの中部にあるジョス大学医学部に専門家として派遣され、回旋糸状虫症の疫学調査を行った。また、糞線虫症、ツツガムシ病、肺吸虫症などの多くの寄生虫疾患について生態・疫学的研究を行った。
1988年に山根洋右教授からお誘いを受けて、島根医科大学環境保健医学講座に赴任することになった。産業保健(有機溶剤中毒、中小企業の産業保健管理)と栄養の教育・研究を担当した。主に有機溶剤中毒を研究していたが、1990年ごろには職場での中毒は少なくなり、生活習慣病が多くなってきた。そこで、生活習慣病の遺伝と環境の相互作用を研究したいと考え、手慣れた寄生虫分野で分子生物学を学ぼうと遅まきながら、1992-3年にアメリカ合衆国アイオワ大学医学部生化学教室兼ハワード・ヒューズ医学研究所に留学し、「回旋糸状虫症の分子生物学」を学び、帰国後は、内臓肥満やメタボリックシンドロームの発生機序についてライフスタイルと遺伝子多型の両面から研究を進めている。 |