島根大学病院眼科での約4年間の勤務を振り返って

私の4年間年表(笑)
2018.5.7-島根大学病院眼科で勤務開始(滋賀医大より医局を移る)
2018.5.7~眼内レンズの研究開始。東京のHOYA Corporationとの共同研究のため島根と東京を2-3回飛行機で行き来する。
2019.4:島根大学の大学院入学、臨床医かつ大学院生としての勤務開始
2019.6:専門医試験合格、妊娠発覚
2019.12.23:産休入り
2020.2.11:第一子男児を京都で里帰り出産
産休~育休の4か月間で大学院の残りの単位をDVD講義で取得。
2020.7.1:約4か月の育休終了、勤務再開。育児と仕事に慣れつつ週2回の外来、週数件の白内障手術開始。学位審査のための論文作成開始
2020.10:大学院の学位審査に必要な論文投稿、accept
ここからの1年間は外来、手術、学生指導がメイン
2021.7:第二子男児妊娠発覚
2021.10:主人の福井への12月からの転勤が決定
021.12.1~2022.3.3:島根県での一人育児、勤務、学位審査に必要な発表資料作成
2022.3.4:第二子の産休入り
2022.3.12:里帰り出産のため京都の実家へ帰省。島根県に別れを告げる。
今後2022.4以降に、学位審査の申請を出し学位審査を受ける予定。

島根県に来てすぐの1年間は怒涛のように毎日が過ぎていきました。
谷戸教授の午前中週2回の外来補佐と午後の手術助手・専門医試験のための勉強・自分の手術・外来、私生活では妊活・異性(主人ですが(笑))との初めての共同生活 ・初めての家族や親戚のいない土地での県外生活(ホームシック)・・・。
産休育休の間に大学院の単位を取得し、第一子を産んでから論文作成。その後は育児をしながらの平穏(ある意味?) な時間経過で仕事ができました。
1年半後、第二子妊娠、主人の転勤、約4年間の島根での生活に終止符を打ち、京都への引っ越し。(おそらく4月末に出産予定)
文章でまとめると味気ない感じもしますが、日々の診療や手術は医局の諸先生方、看護師さん、事務員さん、保育園の先生方、皆様に助けていただき、 無事に勤務最終日までやりきることができました。谷戸教授には学位取得に必要な論文作成は手取り足取り教えていただき、週末には土日にも関わらず、 毎週学位審査のPowerPointを見ていただきました。まだ学位を取得できたわけではありませんが、谷戸教授の助けがなければ、やり遂げることはできませんでした。 谷戸先生が教授だったからこそ、大学院に入学しようと思いましたし、研究や論文作成、学位審査の準備など、貴重な経験ができました。初めは不安(不満・・・)しかありませんでしたが、 今は大変感謝していますし、大学院に入学したことに満足しています。
今後、母として妻として女医として働く医師が増えていくと思いますが、少しでも私の経験が参考になれば、と思います。 経験して今、強く実感していることは、子供が一人であっても母親一人での家事育児仕事を毎日こなすのは、 心が侘しく、空しくなるし、長続きはしない、ということです!!家族・子供は宝!仕事仲間も宝!仕事ももちろん宝!
島根での4年間の思い出は私の開閉自由な秘密の宝箱に大切に、大切にしまっておこうと思います(笑)

最後になりましたが、皆さま、今まで約4年間、本当にお世話になりました。
今後とも変わらず、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

持地美帆子

P.S: 母として妻として女医として働くのに欠かせないもの
忍耐忍耐、妥協妥協妥協、(嘘でもいいから)旦那への感謝の気持ちを言葉にすること、保育園、病児保育所、ヨシケイ、生協の食材配達、ママ友(先輩)の看護師/医師/事務員さん、コミュニケーション能力、浴室乾燥機、Amazon、スライドドアの車、良き後輩同期上司

予定日二日違いの看護師さんと外来医長杉原先生とパシャリ

島根最後のオペ室で

福井県で待っています!
     
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