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 講座沿革
当講座の沿革を紹介します

講座の沿革

吉村名誉教授写真

島根大学名誉教授 吉村安郎

 昭和54年11月16日付けにて、吉村安郎が大阪大学歯学部口腔外科学第二講座より教授として赴任した時点より、診療科として名目上発足した。しかし昭和54年度予算計上はされておらず、スぺースのみ産科婦人科と精神科・神経科とに挟まれた空間(歯科口腔外科に指定された場所)を利用してほしいとのことであった。

 昭和55年の予算の目途が立った時点で、4月8日には外来診療が出来るよう突貫工事によって、何とか診療開始できた。6月には、3人の教官(歯科医師)、技工士1名、衛生士1名、看護師1名の構成と成った。当初病床は3床であった。教育については、昭和55年度より、第1回入学生の5年生に100分講義を5コマ行ったのが始まりである。研究については、まだ考える余裕がなかった。

 昭和56年より、歯科医師5名、コメディカル・スタッフ4名の構成で、病床6床、外来は224m2のスペースに歯科用ユニット7台を配置し、少しずつ歯科口腔外科の診療をめざした。歯科矯正治療は唇顎口蓋裂や顎変形症の患者さんのために必須の診療科目であるため、歯科矯正専門医に一か月に一度の割合で診療をお願いした。また「言葉の教室」も開設した。同年秋より病床は10床になって、入院患者さんも増加し常に満床となった。隠岐病院の歯科口腔外科が学外の関連病院となったのもこの年であった。

 昭和57年度には、大学院医学研究科も発足し、付属病院内にあった狭い研究室より、学部研究棟内の、ある程度の広さを有した1階の研究室へ移動した。

 実験的研究の出来る雰囲気が醸しだされるに至ったが、カネとヒト不足で、まだまだ動きは取れない状態であった。医学部5年生、6年生の講義,実習いずれに於いても、歯科口腔外科学とは何か、その診療範囲、他科との連携、医師として歯科口腔外科のミニマムリクワイヤーメント、を学んでもらう事とし、5年生は90分授業10コマ、6年生は臨床検査医学講座と1週間を2分割して実習した。

 昭和61年には歯科口腔外科学講座が誕生し、診療、教育、研究の3本柱も相当成長しはじめた。

 昭和62年から平成10年までは言わば、当講座にとっては比較的穏やかな年月で、大きな問題もなく、順調に発展した。

 しかし平成11年は「国立大学の独立行政法人化」の問題とともに、「大学学部・大学院、付属病院等の改革」の検討が始まった重大な年度であった。

 平成12年10月、教育の改革の第一弾として、「チュートリアル教育に関するワークショップ」が開催され、医科大学は”医師を育成する”ことが目標であることが明確となった。試行錯誤しながら、平成13年度よりチュートリアル教育へ移行した。この頃には歯科医学教育界においても構造改革の嵐は吹き荒れ、当大学付属病院での歯科医師の卒後研修に関しても様変わりして来た。結局、平成17年には現在行われているシステムが確立した。この歯科医師卒後研修については、全国医学部あるいは医科大学の歯科口腔外科学講座では基本的に同じである。

 研究については、開設以来7〜8年間は臨床研究が主体で,一症例報告であっても大切な研究発表・論文と見做してきた。「種々問題を有する患者(特に循環器疾患)の口腔外科処置に対する対応」、「顎関節疾患の病態、治療に関する臨床的検討」、から始まって、「歯性病巣感染」、「口腔粘膜疾患の免疫学的検討」などを主たる研究テーマとした。年代を経るにつれ、(1)研究に目覚める教室員が増え、学内の他教室、例えば解剖学講座、生化学講座(いずれも正式には名称変更しているが・・・)での協力を得て、基礎医学的、実験的研究が量、質ともに向上したこと、(2)診療内容が口腔外科を主体とするものに移行してきたこと、などから「口腔癌、顎関節症」に関する研究に移行した。これら研究業績については、業績の項を見てほしい。

 大学に於ける歯科口腔外科学講座の存在意義は、教育・研究・臨床(診療)の実践遂行にあることは改めて述べるまでもない。しかし振り返ってみると努力不足も有るかもしれないが、ほんの僅かな進歩でしかなかった。2代目の関根教授に更なる進歩発展を期待する所以である。

 関根浄治教授へのメッセージ;昭和54年11月に産声をあげて以来、歯科口腔外科学教室は其れなりに進歩・発展して来たと考えます。先生の頭の中にある口腔外科学、理想とする歯科口腔外科学講座の実現に向け、また優れた歯科口腔外科医の育成を掲げて、日々邁進されますことを期待します。

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