島根大学医学部整形外科学教室
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トップページ教授室より > 平成24年 年頭所感
教授室より

 平成24年を迎え、年頭にあたりご挨拶申し上げます。

 昨年は人の「命」について深く考えさせられた1年でした。平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、15,844名もの方が亡くなられ、5,890名が負傷し、今なお3,468名の方が行方不明のままでいらっしゃいます1)。また、それに伴い生じた大津波は福島第一原子力発電所で放射性物質の外部漏れ、放射能汚染事故を引き起こしました。これらの災害によって、いまなお故郷に戻れない避難者は全国で33万4千人を超えています1)。ここに、本災害によって亡くなられた方々に心より哀悼の意を表しますとともに、いまなお避難地において不自由な生活を余儀なくされている多くの方々に、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

 さて、このような危機的状況にこそ人間の真価が問われるのだと思います。あの極限状態の中にあっても身の危険を顧みず、最期まで住民や患者の避難誘導に自らを捧げた方々に手を合わさずにはいられません。また、あのような大災害に被災され、絶望の淵にあっても整然として列を守り支援物資の配給を待っている人々の姿は、人として生きることの尊厳を私たちの心に蘇らせてくれます。さらに、被災され家族の消息さえわからない中で、何日も医療機関で寝泊まりしながら病人・けが人の対応に尽力された医療従事者や、過酷な環境で災害復旧に取り組まれた自衛隊・行政機関の職員の方々の姿に感銘を受けなかった人はいないと思います。
 このような人々の姿は、フランクル著「夜と霧」2)の一節を思い起こさせます。
 「ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめてきびしい状況でも、また人生最期の瞬間においても、生を意義深いものにする可能性が豊かに開かれている。」

 私たち医療人は常に人の「命」に対峙していかなければなりません。ここでは、今、医学・医療に取り組んでいる、そしてこれから医学・医療を志す若い人々に対して、人の「命(いのち・めい)」についての私見を述べたいと思います。

 命(いのち・めい)にはどのような意味があるのでしょうか。字統・字訓によれば、「命」の漢字は”口”と”令”からなる文字で、”令”は、神官が礼帽を戴き跪いて神託(神の啓示)を受けている形を示し、”口”は食べる口ではなく、祝詞を収める器であるとされます2,3)。したがって、命とは、神の啓示や天の与えるもの(天与)を示します。ひとの寿命も天から与えられたものであるとされ、このことから「いのち」をも示すことになります。
 まず、いのちとしての命を考えてみましょう。妊娠した際には日本語では「赤ちゃんを授かった。」という言い方をします。これは新しいいのちは天からの授かり物であるという日本人の古来のいのちに対する認識の表れであると思います。この点で、漢字での「命」と共通した認識で、古代の日本人はいのちにこの「命」を当てたのだと思います。では、その天より授かったいのちを生きるということはどういうことでしょうか。私やあなたがこうしてここに生きているためには、私やあなたの父母が存在しなければなしませんし、その父母にも生んでくれた父母が存在しなければなりません。このように1世代ごとに2の乗数の父母が存在しなければなりませんので、仮に100年で4世代が交代するとすれば、人類が誕生した20万年前から、今の私やあなたのいのちにたどり着くためには10の150桁数以上の人が必要ということになります。この無量大数をも超える人のうち、どの一人でも欠ければ、今の私やあなたはいないということになります。氷河期や飢饉、戦争、大災害の中にあっても、それぞれの時代を生き抜いてどれ一つとして欠けることなく命がつながれてきた結果、私やあなたの命が今ここにあるということです。そのように考えると、今ここに、私が、あなたが存在することが希有・奇跡というべき有り難いことなのです。バトンリレーのバトンのように、このつながってきた命は私やあなただけのものではないということです。と同時に、そのいのちのかけがえのなさは私やあなただけでなく、すべての人にあるということです。

 では、その命をただ漫然と生きていればそれでよいでしょうか。今生きているからといって、「あなたはもう生きたから、もういいでしょう」ではないはずです。現在進行形で人は生き続けていかなければなりません。しかし、生きる意味がもともと何か存在して人が生きているとは私は思いません。よく、「生きている意味が分からない」とか「自分探しの旅にでる」という若い人がいますが、本当に一所懸命に生きている人はそのようなことは考えません。人は真摯に生きていくことによってしか、その人には生きる意味は開示されないと思います。

 次に、もう一つの命(めい)の意味について考えてみましょう。天からの命、すなわち天命・ミッションとはどういうことでしょうか。私にとって、この生でのミッションは医療人として生きることです。では、医療人として生きるとはどういうことでしょうか。オスラー先生は、医療という職業は「商売ではなく、天職(calling)である」と言われました5)。この天職callingという言葉は、天・神からの呼びかけ・啓示callingという意味であって、先生の言葉はこの職業が神からのミッション・天命であると考え方を示すものと思います。一方、プロフェッショナル(professional)も職業を示す言葉で、とくに専門職を示すとされますが、語源には神の前にて(pro-)、宣誓する(+fes)という意味があり、啓示に対して誓う職業であることからcallingと同義と考えます。そして、とくにプロフェッショナルとは職業のうち人間の最も本質的な苦労・悩み・争いなどからの“救い”として原始社会から必要とされてきた職業を示し、医療人、法曹家、宗教家に与えられる名称であるとされます。すなわち、医療に携わる仕事はビジネスやワーク、ジョブとは違うのです。したがって、あの極限状態の中ですべてを投げ打ってでも医療人は現場を離れませんでした。それはその場で医療に取り組むことが自らの天命・ミッションであると考えていたのです。医療人は、生業(なりわい)としてこの医学・医療を志したのではありません。医学・医療を通して他の人の生・「命」の幸福に貢献することで、自分の生・「命」を輝かせることができる、だから、この仕事を選んだのです。だからこそ、医療の職業は天職、プロフェッショナルというのです。

 今、医学・医療に取り組んでいる、そしてこれから医学・医療を志すあなた方が、生命の尊厳をしっかりと心に刻み、自らの天命を感じて真摯に生きていくことで自らの今生の人生の意味を見い出してほしいと思います。それができれば、この人生でこれ以上の幸福はないと考えます。

 再び、「夜と霧」2)から、その一節を引用します。
 「ひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。」
 今をしっかりと生きてください。

 最後になりましたが、皆様にとりまして本年が幸せ多き年でありますよう心より祈りまして、念頭の挨拶とさせていただきます。

平成24年1月5日
内尾祐司


参照
1) 内閣府緊急災害対策本部.平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について.(PDF)
2) ヴィクトール・E・フランクル.『夜と霧』(池田香代子訳、みすず書房、2008年)
3) 白川 静.『字統』(平凡社、1985年)
4) 白川 静.『字訓』(平凡社、1987年)
5) オスラー博士講演集『平静の心』(日野原重明・仁木久恵訳、医学書院、2003年)


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