女性医師からのメッセージ

育児をほぼ終えて

私は大学卒業した年の春、当時の島根医科大学眼科に入局しました。
専門医を取得後結婚し、一旦大学を退職して当時主人の赴任先であった広島県に転居しました。まもなく出産し、その後も2年毎の転勤で県内外を転々としました。
引っ越しの度に仕事はどうしようか、子供はどこでみてもらおうかと戸惑いながらもケ・セラ・セラと流れに身を任せてこれまでやってきました。
お陰様で期間中は島根大学の関連病院や市中病院の産休の代診、開業医の土曜診等あちこちからお声掛け頂き週数日、何とか仕事を続けることが出来ました。 完全に仕事を離れていたのは産前産後の4ヶ月間と主人の留学に同行した2年間でした。
娘が小学校を卒業する頃、現在の教授である谷戸先生からぶどう膜炎外来をやってみないかとお声掛け頂き、 当時の教授であった大平先生に他院ぶどう膜炎外来を見学する機会を頂きそれまで苦手としていたぶどう膜炎を担当することになり現在に至っています。
この春娘は大学に進学するため私達のもとを巣立っていきました。結婚、出産後手術をしなくなり失ったキャリアは大きいかもしれませんが、 細く仕事を続けることが出来、子供と十分に時間を共有できた(つもり)の20年間に全く後悔はありません。 勝手気ままな働き方を許してくださった医局や応援してくれた家族に感謝しつつこれからは仕事に向き合える時間を少し増やしていければと考えています。 これから人生の転機を迎える若い先生方の何らかの参考になれば幸いです。

島根大学眼科学講座 学内講師 今町克枝

     
ページのトップへ戻る