他大学から島根大学眼科へ

私は名古屋市立大学を卒業した後、静岡県浜松市にある聖隷浜松病院で初期研修を2年および心臓血管外科医として後期研修を3年行いました。 その後、京都に移り、京都府立医科大学付属病院の小児心臓血管外科で2年ほど研鑽を積んでおりましたが、様々な葛藤があり眼科への転科を決意しました。
聖隷浜松病院の眼科部長である尾花先生から谷戸教授をご紹介していただき、島根大学眼科学講座の一員として眼科医人生をスタートさせていただくことになりましたが、 卒後7年目での転科、しかもこれまでのキャリアをまったく活かさないかたちでの転科だったので、正直に言って非常に不安でした。はじめはゴールドマンで眼圧が測れない、 ERMが眼底写真でわからない、と絶望的なほど何もできず無力感を感じていましたが、周りの諸先輩方の温かいご指導のもと、一から眼科医としての基礎を叩き込んでいただき、 順調すぎるほど充実した1年目の研修となりました。
特に、私は手術がしたくて眼科への転科を決めたのですが、こんなに早くに執刀機会を与えていただけるとは思ってもいませんでした。 5年間の心臓外科時代の執刀件数は開心術が13例(ASD9例、ASD+PAPVC1例、左房粘液腫1例、PDA ligation2例)、大血管手術が5例(AAA 5例)で合計18例でしたが、 すでに白内障執刀件数はこの数を優に超えています。心臓外科の手術は短くても3−4時間、長いと10時間以上かかりますが、一方の白内障は早ければ5−10分で終わります。 しかしながら、時間の長さと手技の複雑さは全く関係がなく、白内障手術は非常に精緻で奥が深く、日々自分の手技が改善され進歩していくことに充実感を感じています。
また、眼科は症例数が多く臨床研究を行いやすいというのも眼科に入ってから感じたことです。 私は京都府立医科大学ですでに大学院に入学していたので転科に際して退学を覚悟していたのですが、島根大学で大学院2年目として転入を認めていただきました。 さらに谷戸教授のご指導のおかげですでに3本の原著論文がアクセプトされ、学位論文も早々に出来上がるという、研究者生活としても順調すぎるほどのスタートを切ることができました。
総じて言えるのは、当たり前かもしれませんが人生は人とのご縁があって成り立っており、自分の力が発揮できるかどうかは環境で大きく左右されるということです。 島根大学眼科学講座の先生方には本当に感謝しかありません。まだまだ始まったばかりですが、この島根大学で研鑽を積み、眼科として実りある人生にしていけたらと思います。

島根大学眼科学講座 医員 髙柳佑士

     
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