公開講座名


出雲で生きる人々の健康観を掘り起こす V
〜がんと共にいきる〜、〜認知症とともにいきる〜

実施責任者 佐藤 和子(看護学科・准教授)
実施協力者 大森 真澄(看護学科・講師)山口 美智子(看護学科・助教),
佐藤 美紀子(看護学科・助教),石橋 典子(白枝クリニック・副医院長),
中川 喜代子(奈良教育大学名誉教授),多々納 弘光(日本民芸館理事)
実  施  内  容
 実施日:3月1、14日の2回、講演時間は8時間、場所は島根大学医学部看護学科第2実習室で行った。今回の講座の特徴は、出前、講演形式から大学施設を使った。また特定の団体に呼びかけることなく、広く、公の広報を使って情報を流し、主体的な受講生と膝をつき合わせた、参加型の講座を計画した。昨年の参加者より、テーマにがん、認知症という病名を明らかにすると参加しにくいとの声を反映した。
【講演内容1】
第1回のテーマは 『「仕舞」としての呆け 』、 参加者数は12認知症看護師として、活躍されている出雲市在住の講師石橋典子氏をお招きしての開催でした。石橋典子さんが「痴ほう」と向かい合った自己との軌跡を語っていただいた。高齢な認知症の方ひとり一人の人生の舞台を見つけた。黒子となって主役である高齢な認知症に寄り添うことに始まった。それは「愛しき我が人生」を見出したことだった。さらに、認知症には、「認知症恐怖」という病にある人々への恐れ、病への差別をうむ現象があることを指摘した。お年寄りのひとり一人のピントのあった補助具を見出し、今までのあなたでよいこと、特別でないことを暮らしの生活史を紐解いていた。そして、高齢になることは「捨てる命」、それは、単に捨てるのでなく、身きれいに身の回り始末をする事を高齢者から学び、最後の身仕舞いにたどり着いた。それは、「白州正子さんの能の世界」と結びついた。
【参加者の声】「認知症の事を知っていたようだが知っていなかった。家族と本人との差が大きいことも分かりました。」「認知症の中核症状が周囲の人々に受け止められないために不適応反応を起こしている。このことは、問題行動もつ児童・生徒への対応にとっても最も大切なことで学校関係者にも聞いてほしい。」「白州正子さんの能の仕舞、立原正秋の小説にあるように仕舞は人生の結末と能の意味があります。私自身のテーマとして凛とした姿で結末を迎えるためにどのように生きたら良いかが現在の課題です。」「ありがとうございました。人として生きる力をいただきました。認知症のこともっと学びたいと思います。」「認知症は呆けても幸せであるが、癌はいつ再発するかと恐怖を持ち続けていく。しかし、癌は死までの有意義な時間がある。比較ができ良く理解が出来た。」「そろそろ身仕舞いをかんがえました。」

【講演内容2】2回のテーマは 今をいきる「日々美の喜び」参加者数は18
私のがん経歴は15年。ものづくりができる感謝と日常の生活の中に日々美を喜びと感じる心を教えていただき今日まで、生きてきましたと、語る多々納光弘さん。病やがんとの戦いでなく、少しでも美しいものに触れていたいからこそ治療を受けるといい、今の今をいきている。日本の、世界のおいしいものや機能的な道具を見つけ、日々美、美味の喜びを大阪から発信する。ものを大切にするこころといのちの大切さを説くことが繋がって今の今を生きている人権教育者の中川喜代子さん。出雲で見つけた日常の美、美味は何でしょうか。
【参加者の声】「堅苦しい場かと心配していました。多々納さんが何度も病気と向かい合いながら、むしろ人生を楽しむかのように過ごされていると感激しました。中川先生は大阪の方なのに島根のことをよくご存じで感心しました。」
「多々納さんは癌と闘いながら美を求めて生き活きとして創る喜びを持たれた事に感謝しておられて、すごいと感じた。」「展示や配置もよかったです。」「多々納さんから普段お暮らしを美しくすることを学びました。その原点が島根県安来の河井寛次郎であること嬉しく思いました。好きな事には童心にかえることが感じ、これが生きる事と感じました。病があるとは思いませんでした。」「今日はありがとうございました。多々納さんのお話は一つひとつがすがすがしく、生き生きと心に響いてきてとても良かったです。出西窯の作品を創っている方がこんな事を考えていたことをしることが出来た。」
【講演の評価】3通りの講座形式取り、3年開催してきたが、今回の参加した方は主催者のねらいが理解していただき、内容を深めていらっしゃると考えられた。今後、続けていく意義はあるが、どれだけの方の中に啓蒙できているかは不明である。しかし、医学部医学科の学生がひとり、関心があったので参加したとの言葉に何か受け止めてくれたことがあったと感じました。
写  真