島根大学医学部整形外科学教室
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トップページ教授室より > 平成26年 年頭所感
教授室より
 平成26年を迎え、年頭にあたりご挨拶申し上げます。

 平成14年に島根医科大学(現島根大学医学部)整形外科学教室の第3代教授に就任してから、今年で12年になります。大学の統合・法人化や新医師臨床研修制度による地域医療の崩壊などの大きなうねりの中で翻弄されながらも、当教室はどうあるべきか、整形外科医としてどう生きるべきかを自分に問いながら教室運営に取り組んできた12年間でした。幸いにも優れた教室員や多くの支援者に恵まれ、高次医療機能を提供できる体制を徐々に整えることができ、関連病院も増えて、地域基幹病院の院長や副院長を当教室より輩出することもできました。改めて、ここまでこの教室を支えてくださった多くの方々に心より感謝申し上げます。"国際的視野に立った豊かな教養と倫理観を備え、かつ、科学的探求心に富む人材の育成"と"医学の向上を目的として教育研究および医療を行うとともに人類の福祉に貢献する"という本学開学時の理念を具現化するために、今後も臨床診療、研究、教育に邁進する所存です。

 さて、現在の医療を取りまく環境はさらに厳しさを増しています。老年人口比率が25%を超え、超高齢社会が現実のものとなっている日本において、増大する医療・福祉費は国家の財政逼迫をもたらす一方、長く続く経済不況の下、経済格差が個々の健康格差をも引き起こしています。これに対して物、人、サービスが国境を越える、グロ―バリゼーションの潮流は、日本の医療をも世界の市場経済の中に組み込もうとしています。医療をサービス商品としてみる市場原理主義は患者中心の医療から経済効率中心の医療にシフトさせようとしているかのようです。私たち医療人はこのようなシステムの中に知らず知らずのうちに引き込まれ、数字でしか評価されない環境で医療に取り組まざるをえない状況に陥っています。しかし、今一度、私たちは私たちの根本的な使命である、“人の命に向き合う”という原点に立ち返って、数字では表すことのできない医師としてのあり方(実存)を問い直すべきではないかと考えます。

 学生時代に出会った渡辺淳一さんの小説「白夜」の一節を繙きます。
「伸夫はいまさらのように医者という仕事が怖いと思った。それは血を見るとか、内臓を切り開くとかといったことへの恐怖ではなく、いっときでも自分が他人の運命を握る立場に立たされる怖さであった。一生懸命やりながら、気づかぬうちに様々な人の運命を変え、生死の瞬間まで決めている。一瞬のメスさばきや血管の止め方が、患者当人はもちろん、家族の一生まで大きな影響を与える。そんな大それた立場に、医者故に、若輩のくせに立たされている。それを思うと、改めて自分が選んだ医師という職業の怖さと苛酷さに身がすくんだ。」(渡辺淳一著 「白夜 朝霧の章」1)

 整形外科医でもあった渡辺淳一さんの作品中の主人公、伸夫の言葉は真摯かつ切実です。人の命に向き合って医師として生きることは、その責任の重さに時に押しつぶされそうになります。しかし、だからといって救いを求める人から逃げることはできません。病に正面から対峙し、全身全霊をもって自らの知識と技術のすべてを病める人に捧げていかねばなりません。その際に気をつけなければならないのは医師個人の経験や観察だけに頼らないこと、独善的にならないことです。過去の統計学的根拠に基づき、客観的、体系的に捉えるScienceとしての医学(Evidence-based medicine:EBM2))を右手の武器としなければなりません。そのための医学知識や医療技術の習得は不可欠です。一方、患者自身が語る物語(Narrative)に耳を傾け、抱えている問題に対する全人的なアプローチ、人間同士のふれあいとしての医学(Narrative-based medicine:NBM3))も忘れてはいけません。これを左手の花として、医療人は一人間として患者・家族とともに苦悩し、その病に対峙しなければなりません。そして、得られたNarrativeによってScienceを個々の患者・家族の状況に合わせてどう適応していくかという感性・技(Art)を磨くことも必要です3)。EBMとNBMは矛盾するものではなく、医療を行う上で補完しあうものです。古来日本には、「鬼手仏心」という、鬼のように正確無比な技術で、しかも仏の慈悲の心をもつという言葉がありますが、前述のEBMとNBM、ScienceとArtの関係と同義と思います。その両面が医師には必要なのです。無論、人間という生物の不確定性の上では必ずしも期待した結果を得ることはできないかもしれません。しかし、私たち医療人は、生命への尊厳の中で私たちが考え得る最善の、私たちができうる最大限のなすべきことを真摯に粛々と行うこと以外にはないと考えます。

 世界中の誰もが自分を賞揚しても
 私は独り静かに満足して坐っている
 世界中の誰もが私を見捨てても
 私は独り静かに満足して坐っている
(ウオルト・ホイットマン・伊藤 肇著「人間学」4)

 確かに医療には怖さ、苛酷さはありますが、その中に身を投じる、全身全霊を掛けて病める人と向き合うことが医師の使命であり、その苦悩の中に医師として生きていくことで人生の意味が開示されていくのではないでしょうか。
 相田みつをさんの書に、「肥料」5)と題する詩があります。


 人生においては何ら無駄なことはないのです。偶然と思っていたことが、実は今の自分を形成するためには必要なこと、必然であったと、人生52年の私ですが、つくづく思います。その意味では、医療の中で経験しなければならなかった、つらく苦しいことでも歓迎すべきこと、welcomeなのです。むしろ、その苦悩によってもっと自分が飛躍できると思えば、有り難いとさえ思えるのです。それが医師として生きる今生の人生の意味なのかもしれません。私は当教室を主宰しながら、臨床医として、研究者として、また、教育者として今後も走り続けて参ります。
 どうか、今後とも皆様の温かいご支援とご指導をお願い申し上げます。

 最後になりましたが、皆様にとりまして本年が幸せ多き年でありますよう心より祈りまして、年頭の挨拶とさせていただきます。

平成26年2月
内尾祐司



1)渡辺淳一.「白夜 朝霧の章」、中央公論社、1981.
2)Sackett DL, et al. Evidence based medicine: what it is and what it isn't. BMJ. 1996 ;312:71-2.
3) 医療教育情報センター. NBM(Narrative-based Medicine)−物語と対話による医療,
 http://www.c-mei.jp/BackNum/015r.htm, 2004.
4)伊藤 肇.「人間学」、PHP文庫、1993.
5)相田みつを美術館.http://www.mitsuo.co.jp/museum/

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