島根大学医学部整形外科学教室
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トップページ教授室より > 平成28年 年頭所感
教授室より
 平成28年を迎え、年頭にあたりご挨拶申し上げます。

 今年、私が島根大学医学部整形外科学教室を主宰させて頂くこととなって早14年が経ちました。本教室は創設からは37年が経過し、現在、当教室では整形外科全領域に亘る研究・教育・診療体制が確立・整備されるとともに、連携施設の診療体制も充実して参りました。ここまで何とか来ることができましたのも、多くの皆様のご支援・ご指導の賜物と存じ、改めて心より御礼申し上げます。

 さて、昨年末から新年にかけて日本を取り巻く国際情勢は激動の様相を呈して来ました。ISIS(Islamic State of Iraq and Syria)による全世界を巻き込んだテロリズムの台頭、それを逃れる数多の難民と欧州社会の混乱、日本近隣諸国の軍事的脅威が招く東・南シナ海や朝鮮半島の緊張、BRICs(Brazil, Russia, India and China)のうち、インドを除く各国国内経済の失速がもたらす世界の市場混乱など、政治、経済、軍事のグローバリズムが相互に連関しながら、大きく世界を突き動かしています。このグローバリズムの対象は日本も例外ではありません。昨年、近隣諸国の軍事的脅威は日本の安全保障制度に大きな変革を促しました。また、同年10月に大筋合意となった「環太平洋パートナーシップ(TPP)協定」は、対中国・対EUを意識した貿易戦略の大きな枠組みに日本を否応なく引き込むことになりました。しかし、日本国内を顧みると、東日本大震災と福島原発事故からの復興は道半ばであり、1990年代から続く国内経済の長期低迷からの脱却は未だ図れたとはいえず、「デフレではないレベル」との首相の言葉は虚ろに聞こえます。
 日本の医療について目を向けると、平成16年度に始まった(新)医師臨床研修制度は必修化からすでに10年以上が過ぎましたが、結果として研修医の都市志向と診療科の偏在をもたらし、地方医療の崩壊を加速させました。本来、初期研修医の質を担保する(Quality control)目的でなされた制度が、一部であるにせよ、無責任な教育と分不相応な待遇によって、自己本位で功利ばかりを希求する医師を生み出してしまったことを反省しなければなりません。これは、無論、研修医だけの責任ではありません。
 同時期から始まった国立大学法人化や診断群分類包括評価DPC(Diagnosis Procedure Combination)の導入は、財政緊縮の大号令の下、唯一の医師養成機関である大学医学部でさえも効率性・経済性からの評価に身を晒すことになりました。国民のために行うべき医療が経済指標によって影響を受けかねない状況になったのです。さらに、医療事故が社会問題化され医療従事者への圧迫が高まる中、指導医は患者と医師との関係において時に辛辣な状況に遭遇しながら、肉体的にも精神的にも苛酷な勤務に疲弊する現実を生きなければならなくなりました。しかも、学術評価には市場原理を導入すべきという大学改革の基本認識のもと、論文業績を上げるためのさらなる負荷が指導医に掛かっています。このような中で、指導医が研修医に、『医は仁術だ』と胸を張って教えることができるのでしょうか。

 来年度から始まる専門研修制度は、「それぞれの専門領域において十分な知識と経験を持ち、患者から信頼される標準的な医療を提供できる医師」を育成するためのものですが、本制度はこれまでに生じた前記のような弊害をなくす(あるいは低減させる)最後の機会かもしれません。医師臨床研修制度で行う初期研修の2年間で一人前の医師が出来る訳がありません。一部の地方政治家が言うように、「どのような医師でも良いから」、「頭数が揃えば」、というのでは、地域医療に貢献しないばかりか、返って有害です。医師がそれぞれの専門領域の1人前になるには、十分な知識・技能と健全な精神が錬磨育成されなければなりません。それを可能にするのが専門研修制度だと思います。例えば、整形外科の専門医制度では、日本整形外科学会が策定した整形外科専門研修プログラム基準およびカリキュラムに沿って、初期研修後4年間を掛けて専攻医(初期研修が修了した医師)が基幹病院および連携病院をローテートしながら各分野の指導医の指導の下、整形外科専門領域10の分野を研修することになります。ここでは、専門的な知識や技術だけでなく、常に国民の健康福祉に貢献し、良質かつ安全で心のこもった医療を提供するという使命感を錬成するとともに医学的研究を志すリサーチマインドをも涵養させます。一旦、パンドラの箱から解き放たれた者は無理にせよ、これからの日本の医療を担う次世代をしっかり育成することはわれわれ指導医の責務と考えます。よりよい専門医育成を目指して指導医も変わらなければなりません。

 このような激動の時代に生きるとき、ともすれば自己を見失いがちになります。「現状を打開することはできない」、「自分には無理だ」、「運命だから仕方がない」と諦める−しかし、そのままでは人生を拓くことはできないのです。以前、紹介した安岡正篤さんの言葉を再び引用したいと思います。
 『ひとは与えられた運命に埋没して流され、翻弄される。これが宿命である。それに対して、運命を自分の手で変えようとする生き方が立命である。宿命に生きるか、立命に生きるか、によって人生の醍醐味が違ってくる。』
 また、その『立命』を、安岡さんは「『人間』としての生き方」の中で、中国の古典「陰隲録(いんしつろく)」の袁(えん)了(りょう)凡(ぼん)という実在の人物の話を例に説いています。後半では、その本やメディアでの解説文を引用しながら、これから日本の医学・医療の未来を担う若い医師にエールを送りたいと思います。
 中国の古典「陰隲録」は、この物語に出てくる主人公・袁了凡が書いたもので、「陰隲」とは「陰徳・隠れたところで行う善行」という意味です。陰徳を積み、積極的に生きることによって運命は変えることができるということを、袁は子々孫々に伝えるべく、この書を書いたのです。
 袁は、早くに父を亡くしたために家計の関係から進士(官吏登用試験科目)の受験勉強を断念して医学を学んでおりました。慈雲寺で一人の気高い孔老人に出会います。孔老人は袁に易学を教え、袁の一生(官吏登用試験の成績から官吏になる年、死ぬ年や子どもがないことまで)を占いました。果たして、孔老人の占い通りに、自分の人生が進んでいくことから、「人間の運命というものは予め定まっているので、じたばたするのは全く無用のことだ。無意義なことだ。」と人生を達観し、自然に任せていたのでした。傍目からみると、袁は一種“悟り”の境地に達したかの風貌でした。
 そのうち、地方から推薦されて都に上り、棲霞山の雲谷禅師を訪ね、向かい合って坐ること三日に及びました。雲谷禅師は、袁の“悟っている”様な態度に、「お前はずいぶん修行が出来ているようだが、どうしてそこまで至ったか。」と尋ねました。袁は昔出会った孔老人の占い通りに進んできた自分の人生の経緯を話し、人生を諦めている“悟り”の旨を話します。すると雲谷禅師は大笑いをし、「わしはお前を豪傑と思っておったが、そんなことなら凡夫だわい。」と、袁の消極的な生き方を喝破します。
 雲谷禅師は言います。「我々は運命を持っているが、人間は学問によって限りなく命を知り(知命)、修行によって限りなく創造・立てること(立命)が出来る。運命は天のなすものであるが、自ら創っていくものである。だから人間以外の動物に出来ないことを人間が出来る。お前の運命、すなわち素質・能力・作用というものはそんなに簡単なものなのか。それではつまらない人間であると思わないのか」と。
 さらに、禅師は「絶えざる思索、物事の根本的意味や関連などを純粋に突きつめて考え実践し、日々に新しい創造的生活をする身となって学問修養をしなさい。そうすれば、君の人生はどう変化して行くか分からない。これを立命という。今まで他律的な運命に支配され、宿命に支配されていたが、今より自由になって自己および人生を創造しなさい。そうしなければ運命なんか分かるものではない。」と続けました。
 袁は無明(真理に暗いこと)から覚めたように感激して悟ったのでした。実はこの時までは彼は“学海”と号していましたが、この時から心を入れ替え、「人間と言うものは安易な運命観に陥ってはいけない。どこまでも探求し理想を追って実践に励まなければならない。」と悟り、絶対に凡夫の決まり切った型には陥らないと覚悟して、了凡(凡夫を了(おわ)る)と号したのでした。そして、これまでの消極的な態度を一変し、毎日わずかな短い時間をもおろそかにしない積極的な生活にするよう努力しました。すると不思議なことに、これまで外れたことの無い孔老人の算定がだんだん外れだして、子供も出来、死ぬと言われた年にが過ぎても健康で、この通り文を作ってこのことを記しているといいます。

 自分の生まれた境遇がどうであるとか、今の置かれた環境がどうであるとかを逃げ道や言い訳にしてはいけません。常に積極的に生きていくことで人生の命は開かれるのです。私たちは医学・医療を学ぶことを通して人間形成を図るとともに、医学・医療の分野で修め(知命)、医学・医療のさらなる高みを目指して、たゆまず着実に努力を積み重ねること(立命)で人生を拓くことが出来るのだと思います。

 私は当教室を主宰しながら、若い医師と共に、臨床医として、研究者として、また、教育者として、日本の医学・医療に貢献して参りたいと考えております。
どうか、今後とも皆様の温かいご支援とご指導をお願い申し上げます。

 最後になりましたが、皆様にとりまして本年が幸せ多き年でありますよう心より祈りまして、年頭の挨拶とさせていただきます。
                                         平成28年1月
                                          内尾祐司
参考
1) 『「人間」としての生き方』 安岡正篤/安岡正泰・監修/武石 章・訳、PHP文庫、2008年
2) 「陰隲録」「袁了凡の教え」 佐藤輝夫.http://teruo310.air-nifty.com/teru/2009/08/ post-758c.html

 

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